皆さん各々に“座右の銘”をお持ちだと思います。
座右の銘は、人それぞれの生い立ち、生きてきた証・信条としてあるもので、
どれが正解という代物ではありません。
私も高齢者の仲間入り、この機会にこれを記しておきたいと思いました。
(終活と共に、遺言の一種ですね。)
私の“座右の銘”は、子供のころに親から言い伝えられたものが強く印象に残り頭に
刷り込まれたものと、その引用とともに個人的に少し細工をしたものになって
います。そこに自らの信条を少し入れ込んだ、変形バージョンとなっております。
実は、これらは今考えた訳では無く、おおよそ20年前に当時小学生だった子供達
と散歩をしながら、少し歌にのせて歌いながら固めていったように記憶しております。
早速紹介いたします。
人を馬鹿馬鹿いう馬鹿は己の馬鹿を知らぬ馬鹿
いつ迄もあると思うな親と金
安い安いと買う馬鹿は買わぬ馬鹿より損をする
能ある鷹は爪隠し隠した爪をまた磨く
座右の銘が、四つもあるのは多すぎると思われるかも知れませんが、それぞれが私の信条として意味を持ちます。以下に解説を付けます。
どこまで響くのか?
それにしても馬鹿が多いですね。
(これは自分のことを言っておりますのでお気になさらず。)
人を馬鹿馬鹿いう馬鹿は己の馬鹿を知らぬ馬鹿
ことわざ辞典や、ネット検索しましたが、これズバリは無いようですね。
ネット内で、これは“ソクラテスの無知の知”と同意であるとの解説を見ました。
“人の振り見て我が振り直せ”など人にまつわる諺は数多くありますが、、、
これは、確か子供のころに祖母から、そしてその後に父親から良く聞かされたように記憶しています。かなり庶民的な言い回しであったものなのでしょう。
“謙遜”を表し、いつも自らの無知を自覚し人の話しを良く聞き知識を広めていくことが大切でしょう。
長い海外生活では、このように考えておりました。
一つの国を理解するのは、容易なことではありません。三年、五年いやそれ以上いても中々全てを知ることは出来ない。海外にいると、海外の人に良く日本のことを聞かれます。又、昨今はあらゆる国からも多くの方が日本を訪問し、色々なところへ行き、色々な食事をされています。日本人だから知ってい当たり前のように、“あの店は美味しいね!”と言われても
“いやー、聞いたことはあるが、行ったことは無いよ、とか食べたことは無いよ。”となります。文化や風習も然りです。よって数日、数週間の出張や旅行で得たその国の情報又は知識だけで、その国を語ることは上辺だけのことだと思っています。
日本人が日本のことを全て知らない、分からない様に。
よって、他国に入れば、その国の人は皆先生として接します。
いつ迄もあると思うな親と金
“自立・独立の精神”を表します。
引用-集英社 新修 ことわざ辞典、親はいつまでも生きていて子供のめんどうをみてくれるものではない。いつかは死ぬ。金も使えば減ってなくなる。自分から独立することを心掛け、倹約しておかなければ必ず困る時がくる。
“一円を笑う者は一円に泣く”なども有名ですね。
これも、良く父親から聞いたように記憶しております。そう言いながらも結果的には親が年金生活に入ってからも随分と世話になったような気がいたします。
もう二人ともおりませんが。
今、自分が年金生活に突入すると、実際問題子供の面倒を見てやりたくてもその余裕がない。有ればいくらでも分け与えたいのだが、自分の生活がやっとでは、、、
よって、このことわざはいつの時代にも真実であり、その通りだと思います。
各々に、“何時までも”の時間差はありますが。
安い安いと買う馬鹿は買わぬ馬鹿より損をする
“経済、節約”を表します。
これは自作で、上の“人を馬鹿馬鹿、、、、、”から韻を踏んで出来上がりました。
要は、不要なものは買うな、安いからといった理由でまとめ買いなどはしなさんな、という警告です。安くても買うよりは買わない方が安いのです。
買わないのはただですから。
しかしこれも逆があり、必要なものは買う、又自分の好きなもの、こだわりのあるものは買うということなんです。
よって“買わぬ馬鹿”は、必要なものまで買わないで結果困る、又は後で買うときに値段が上がってしまって結局損をする、この様な人のことです。(・・・私です。)
能ある鷹は爪隠し隠した爪をまた磨く
“自己研鑽・学びの醍醐味”を表します。
引用-集英社 新修 ことわざ辞典、“能ある鷹は爪隠す”より自作。
“能ある鷹は爪隠す”- すぐれた才能のある者ほど、日ごろは、それを見せびらかさないことのたとえ。
自己研鑽とは、このようなことだと思います。人によって考え方が違いますので、どちらが正解とは言えませんが、先に何を勉強する、或いはこの資格を取るなどと宣言し自らを追い込むやり方と、全く周囲には言わず相当なレベルになるまで耐え忍び勉強する。正に“隠した爪をまた磨き”絶対的なものにする。そして自信をもって人前に出す、というやり方。私は後者が圧倒的に好きです。
しかしながら、私のように爪磨きにあまり時間が掛かっていると、間に合わなくなってしまいますので注意が必要です。
自己研鑽・学びは、それが世間で評価された時に達成感と大きな満足が得られます。
そして、自分自身の固体に蓄積されるもので、自分自身の努力が全てです。又、死んでしまえば全てがチャラ、これが醍醐味かも知れません。決して買えないもの、USBの様に簡単にカートリッジの入れ替えが効かないものであります。
最後に
上の自己研鑽の一つに、私のインドネシア語学習があります。滞在期間を含めておよそ30年のこの国との関わりのなかで、インドネシア語は私のライフワークとなりました。そしてどのような語学学習もそうだと思いますが、まだまだ納得が行くレベルに達しません。しかしながら、これを隠したままで人生を終わるのも勿体ないとの思いからこのブログを立ち上げました。
未だ、本題に記事に行きつきませんが、これからインドネシア語の勉強サイトを充実させて行きますので、宜しくお願い致します。
