インドネシア語学習(個人レッスン)1

逞しくも愛すべき先生達との思いで(60歳の手習い)

経緯

インドネシアに赴任すると大抵の場合、まず一番にインドネシア語を勉強しないとということになるでしょう。前任からの紹介、又はそれぞれの会社に専属の先生がいるケース、又は自分で探す等様々だと思います。そしてめぐり合ったこの最初の先生が、インドネシア語を学ぶ上で非常に大きな影響をもたらすものだと思います。そこで、私の個人的な経験を知って頂き、その一助として頂ければ幸いです。60歳を超えて、若者から何かを学ぶ、これは何とも新鮮で気持ちが高まる大切な時間です。

思えば長い道のりです

思えば90年代の初めから昨年末までおおよそ30年間に渡り、様々な多くの先生方からインドネシア語を学び、時にそのネットワークが思わぬことに仕事にも関連する出会いを生んだりと、その思い出は語りつくせないほどに御座います。先ずはプライベートレッスン、又先生を決めるに当たって大切なポイント(インドネシア語勉強のポイントも含む)を記してから思い出話しに行きたいと思います。私は、92年から数次に渡りインドネシアに駐在、合計でほぼ14年、昨年末に定年となり帰国しました。インドネシア語技能検定試験は、10年前にB級合格後、昨年までA級に挑むも合格出来ず、現在に至ります。関連ブログにもその経験談を載せていますのでご参照下さい。

(重要)個人レッスン受講・勉強のポイント

  • 勉強日程、スケジュールを決めたら、絶対に変更・キャンセルはしない
  • 事前に達成目標と学習内容・ペースを決め計画を立てる
  • 対面学習はペースメーカーとし毎日最低30分程度の学習時間を取る
  • 可能ならば二人以上の先生を付ける
  • 先生はインドネシア語が綺麗であること
  • 仕事を含む一日の出来事、又は話したいこと、言えなかったことをインドネシア語の文章又は単語に落とし込み、これを覚える=>そして翌日に使ってみる
  • 不明の単語を記載(独自の単語帳)に記し、毎週レビューする
  • 覚えた文章は、なるべく知らない人(初めての人)に使ってみる(駐在の場合)

私の場合、これらが出来ずのほほんと成り行きまかせで勉強、まただんだんと気持ちが入らなくなり最後の方は実効性が無くなり慢性化・惰性化してしまったんだと思っています。皆さんには、短期決戦でレベル向上を図って頂きたいと思う次第です。

日本ファンの多いインドネシア(日本語学習熱)

非常に有難いことで、インドネシアは大変日本びいきな国です。大変にうれしいことです。これは昨今いや随分むかしからだと思いますが、歴史的背景、経済的な繋がりそして昨今のアニメブームも大きく影響しているでしょう。“世界の日本語学習者ランキング”を見ても、一位中国の約100万人に次ぎ第二位約70万人となっています。無論、人口比率を考えると韓国もかなり多いのですが。

中国約100万人
インドネシア約71万人
韓国約53万人
オーストラリア約41万人
タイ約18万人
2018世界の日本語学習者“2018年度国際交流基金調査データ”

このデータからもインドネシアの日本語学習に対する裾野の広さがわかるように、素晴らしい日本語の使い手と数多く出会いました。然しながら、インドネシア在留日本人が二万人を切ることから、インドネシアの先生は、インドネシア人に日本語を教えるケースが多く、日本人にインドネシア語を教えるケースは圧倒的に少ないのだと思います。そもそも我々日本人は、インドネシア語を習いたい訳で先生が日本語が上手い必要は無いのではないか?と考えております。基本的に言語能力、伝達コミュニケーション能力と教える能力は別物と考えています。いかに秩序だったインドネシア語文法を理解しているかが先生の条件となるのでしょう。この様に各々の先生は異なる得意分野、そして異なる文化圏、場合によっては宗教も異なるケースが多く、これらを理解し、リスペクトして接することが大切です。正に“インドネシア人は皆先生”と考え、学べる事は全て吸収していくことです。

駐在初期のコミュニケーション

先ず、駐在初期のコミュニケーションは、
1) ドライバー(多くの場合、固定、専属のケースが多い)
2) ハウスキーパー(昨今はサービスアパート等でコミュニケーションは少ない)
3) 勤め先の現地の方(昨今は英語、日本語のコミュニケーションも多い)
となるケースが多いでしょう。当初から、彼らは我々日本人、それも新たにインドネシアに赴任した日本人に対し非常に親切です。そして、無論会社内での上司部下、或いはその反対もありますが、我々が片言で何を言おうとしているのか、その拙いインドネシア語を理解しようと耳を傾け、大変な努力をしてくれます。有難い限りですが、その努力が我々の間違ったインドネシア語を語彙変換して、仮に間違っていても理解してしまうのです。そしてこれが一度通じてしまうと、修正が効かずそのままとなります。後に、世間に出て初めて接する人とコミュニケーションした時に、全く通じないという現象が起き、驚くと共に恥ずかしい思いをすることも多々あります。故に、もし駐在しておれば表に出て、多くの人とコミュニケーションを取り、言葉をキャリブレーションしていくことが大切だろうと思います。

今も現役、大切なインドネシア語先生ネットワーク

先に述べた如く、先生も各々バックグラウンドが異なり話し方も違います。これは良い悪いではなく、個性としてリスペクトすることが大切です。私の場合は複数の先生から習うという手法をとりました。ほとんど趣味の世界ですが、その方がバランス的に良いのだろうと考えました。それぞれの先生に必ず得意分野がある訳ですから、その上少なからず日本語を学んだ経験、日本への留学経験、日本企業での勤務、通訳等、日本語に関する様々な経験をお持ちです。コストは掛かりました、又成果については少々?です。然し、ここから結構広範囲のネットワークが生まれそれが未だに繋がっているのです。

愛しくも逞しい先生達

私がインドネシア語を教わった先生方は、ほぼ10人位になります。コロナ禍となる前は、2016年から2019年間も、三人の先生がおり週三コマで学習をしていました。それぞれの個人名は上げられませんが、個々にご紹介して行きたいと思います。長くなりますので、後ほど別ブログにて、、、

インドネシア語学習(個人レッスン)2

逞しくも愛おしいインドネシア語の先生達

前述プライベートレッスン1で、その内容につて記載しましたが、第二弾として私がお世話になったインドネシア語の先生達、そのネットワークおおよそ10名のうち極直近のコロナ禍前迄、勉強にお付き合い頂いた三名の先生を思い出とともにここに紹介致します。無論、今でもたまにではありますが、インドネシアで人気のアプリ(WhatsApp)にて日本にいながらも交信をさせて頂いております。直近ではインドネシア、日本共にコロナ感染者の数が激減しておりますが、数か月前は正に大変な状況下にありましたので、お互いの健康確認の為交信をしております。因みにたまたまではありますが、先生は皆さん女性です。今回、匿名でのご紹介とさせて頂きます。

  • M先生(既婚でお子さんが二人)
  • P先生(一流商社勤務の独身貴族)
  • D先生(インドネシア肝っ玉母さん)
M先生;文法、セオリー、正しく明快なインドネシア語の正統派

この先生は、別の先生からご紹介を頂き2006年からプライベート個人レッスンを始めました。有る機関で先生として日本人にインドネシア語を教える経験の長いその道のプロと言えるでしょう。気さくで明るく、決して諦めないその指導には随分と助けられました。当時、私は二回目の赴任でC級は既に日本で取得しておりましたので、B級受験を目標とした勉強を始めました。多分この当時から授業は全てインドネシア語で実施としました。本当は、この先生も日本語は相当上手い使い手だと思いますが、残念なことに私は日本語でコミュニケーションを取る機会が有りませんでした。
文法、教材、テキストは完備しており、効率的で且つ抜けのない文法を基礎から教わった記憶があります。“イヤー、インドネシア語の文法も大変なものだ。”と思いながらも毎週末に自宅のアパートまで来て頂き、ほぼ欠かさず毎週末勉強を続けました。
半年に一度、年二回のB級受験も、落ちる度にこちらが“もうやめようかな?”と言うと“もう一息だから、頑張って”と励まして頂きながらB級合格までお付き合い頂きました。その後、帰国後に長らく間が空きましたがこの間に彼女は結婚、その結婚式にご招待頂き、日本から駆け付けたことも良い思い出となっております。

そしてまたまたの出向、早速“ご無沙汰していますが、また来ました。A級受けますので宜しくお願いします。”二つ返事で“了解。”となりました。ところが彼女は結婚後、小さな子供も授かっていましたので、毎週こちらがジャカルタからブカシまで約15キロの彼女の自宅付近のショッピングモールまで出向いてカフェで勉強をしました。しかし、この間も更に平日或いは日曜日に並行して他の先生のレッスンを受けておりました。

P先生;気さくで日本人的、飾らず奢らず安心して勉強

この先生は、当時UI(インドネシア大学)の日本語学科の学生でした。詳細は忘れましたが、基本的には過去問の繰り返しと自作単語帳のレヴューが中心だったと思います。約二時間のセッションの冒頭に文章を読み、分からない単語を調べ確認、ところが同じセッションの後半で同じ単語が出て来ると、私は“これは初めて習う単語です。”すると先生は、“いや、さっき出て来ましたよ。勉強したばかり、、、”となり、結局は最初の方で習っていたことが判明。恥ずかしくもこんな繰り返しをやっていました。高齢化による余りの覚えの悪さにも、怒らず呆れずにお付き合い頂きました。
そして、ついに第二回目の出向も5年目に入り、そろそろ終わりかなという雰囲気の中でB級受験もほぼ10回目を迎え、これが最後かもしれないとの思いから、ほぼ試験三か月前から、平日毎日の集中講座に突入しました。毎日仕事から戻り、夕食もそこそこに夜八時から二時間のセッションが始まります。アパートに来てもらい、ほとんど頭が働かない中で、ひたすら過去問と単語帳の繰り返し。その内に、試験のパターンは愚か答えまで暗記してしまい、勉強にならないのではと思いました。
過去問の繰り返しによって、その問題と解答のパターンが完全に頭に入り、ほぼ文法的な裏付け、理解も無く答えが頭にこびり付いて行きました。
当時は余り気にしなかったのですが、彼女は当時、丁度大学の夏休みで、その間毎日の恰好の高収入アルバイトが出来たようです。これは、後日談で聞きました。

B級合格

この結果、第二回目出向5年目10回目のB級試験に合格することが出来ました。特段出来が良かったという事後の印象は無く、まあまあかな?と言う位でしたが何とか受かりました。この一次、二次の受験談は別ブログに詳細を記述していますので、是非ご参照下さい。しかし、これは非常に嬉しく、長らくお付き合い頂いた上記の先生方には大感謝。そして、感謝の気持ちとしてその回の試験問題の読解に出てきた日本の和牛に関するトピックに絡めて、和牛ステーキのフルコースをご馳走しました。味は余り覚えていませんが、値段は超一流だったことだけは記憶にのこっています。
そしてM先生から、更なる精進の為にと、“Kamus Besar Bahasa Indonesia”インドネシア版広辞苑を頂きました。これは、それ以降日本に持ち帰り大切な蔵書として保管しております。(使ったことはありませんが。)
そして、今振り返るとこの先生方には更にA級受験に向けた指導をお願いすることになるのです。

D先生;インドネシア肝っ玉母ちゃん(私のメンター)

この先生は、三回目の出向(厳密には4回目)の出向時に知り合いの紹介で、上記M先生、P先生に加えて参戦頂くことになります。
現在50歳+α位、旦那さんは日本人ですが、15年以上前にインドネシアでの交通事故で死別、日本には10年以上住んだ経験があるとのことです。その後、一人息子を育てながら現在まで、フリーランスの先生として日本語、インドネシア語を教えて来た強者です。息子さんはその後独立し、現在は日本で仕事をしています。日本語のコミュニケーション能力は10年以上の日本での生活をベースに、強烈な実践能力があります。そしてプライドも高く、しかし時折弱い一面も見せる中々活発なおばちゃんです。
私は、インドネシアのメンターとしてその人生から生きる力強さを学びました。そして本人にも話したのですが、題記の“インドネシア肝っ玉母ちゃん”と名付けさせてもらいました。勉強は、A級受験ともなると、先生方も困るようです。こちらも文法や過去問にも飽きてしまい、やりたくない。そんな中で週一の授業はメニュー無し。毎回私が現地新聞 Kompas から興味のあるトピックス、記事を取り上げ黙々と読む、音読。そして分からない単語やフレーズを先生に聞くというパターンでした。ところが、話好き、教え好きの先生は出番が無く、私の質問に対し包括的なインドネシアの文化、事象の背景や説明、等々を詳細語り始めます。ところがこちらは、“いやいや、そんなことは分かっているので純粋にその単語の意味、基語の意味を知りたい”と意見が合わず,“ちょっと黙っててくれる”となり毎回喧嘩になります。熱くなると勉強どころでは無くなりますので、勉強は中止、では旨いもん食べに行こうとなる訳です。喧嘩の後は旨いもん食べて仲直りということです。気っぷが良く、又感情が表に出る、そして“私一人で息子を日本人として育て上げた。”が彼女の決め台詞。そこで彼女を“インドネシア肝っ玉母ちゃん”と勝手に任命致しました。

これってインドネシア語の勉強?

この様にA級受験勉強は、進んで参りましたが、やはりだらだらと長期戦になるのはいけません。よって、未だに合格出来ないのです。短期集中で純粋な受験対策に取り組むことをお勧め致します。長くやれば良いというもにでは無いようです。皆さんの成功を祈願致します。

座右の銘(私バージョン)

皆さん各々に“座右の銘”をお持ちだと思います。
座右の銘は、人それぞれの生い立ち、生きてきた証・信条としてあるもので、
どれが正解という代物ではありません。
私も高齢者の仲間入り、この機会にこれを記しておきたいと思いました。
(終活と共に、遺言の一種ですね。)
私の“座右の銘”は、子供のころに親から言い伝えられたものが強く印象に残り頭に
刷り込まれたものと、その引用とともに個人的に少し細工をしたものになって
います。そこに自らの信条を少し入れ込んだ、変形バージョンとなっております。

実は、これらは今考えた訳では無く、おおよそ20年前に当時小学生だった子供達
と散歩をしながら、少し歌にのせて歌いながら固めていったように記憶しております。
早速紹介いたします。

人を馬鹿馬鹿いう馬鹿は己の馬鹿を知らぬ馬鹿

いつ迄もあると思うな親と金

安い安いと買う馬鹿は買わぬ馬鹿より損をする

能ある鷹は爪隠し隠した爪をまた磨く

座右の銘が、四つもあるのは多すぎると思われるかも知れませんが、それぞれが私の信条として意味を持ちます。以下に解説を付けます。
どこまで響くのか?
それにしても馬鹿が多いですね。
(これは自分のことを言っておりますのでお気になさらず。)

人を馬鹿馬鹿いう馬鹿は己の馬鹿を知らぬ馬鹿

ことわざ辞典や、ネット検索しましたが、これズバリは無いようですね。
ネット内で、これは“ソクラテスの無知の知”と同意であるとの解説を見ました。
“人の振り見て我が振り直せ”など人にまつわる諺は数多くありますが、、、
これは、確か子供のころに祖母から、そしてその後に父親から良く聞かされたように記憶しています。かなり庶民的な言い回しであったものなのでしょう。

謙遜”を表し、いつも自らの無知を自覚し人の話しを良く聞き知識を広めていくことが大切でしょう。

長い海外生活では、このように考えておりました。
一つの国を理解するのは、容易なことではありません。三年、五年いやそれ以上いても中々全てを知ることは出来ない。海外にいると、海外の人に良く日本のことを聞かれます。又、昨今はあらゆる国からも多くの方が日本を訪問し、色々なところへ行き、色々な食事をされています。日本人だから知ってい当たり前のように、“あの店は美味しいね!”と言われても
“いやー、聞いたことはあるが、行ったことは無いよ、とか食べたことは無いよ。”となります。文化や風習も然りです。よって数日、数週間の出張や旅行で得たその国の情報又は知識だけで、その国を語ることは上辺だけのことだと思っています。
日本人が日本のことを全て知らない、分からない様に。

よって、他国に入れば、その国の人は皆先生として接します。

いつ迄もあると思うな親と金

自立・独立の精神”を表します。
引用-集英社 新修 ことわざ辞典、親はいつまでも生きていて子供のめんどうをみてくれるものではない。いつかは死ぬ。金も使えば減ってなくなる。自分から独立することを心掛け、倹約しておかなければ必ず困る時がくる。
“一円を笑う者は一円に泣く”なども有名ですね。

これも、良く父親から聞いたように記憶しております。そう言いながらも結果的には親が年金生活に入ってからも随分と世話になったような気がいたします。
もう二人ともおりませんが。
今、自分が年金生活に突入すると、実際問題子供の面倒を見てやりたくてもその余裕がない。有ればいくらでも分け与えたいのだが、自分の生活がやっとでは、、、

よって、このことわざはいつの時代にも真実であり、その通りだと思います。
各々に、“何時までも”の時間差はありますが。

安い安いと買う馬鹿は買わぬ馬鹿より損をする

経済、節約”を表します。
これは自作で、上の“人を馬鹿馬鹿、、、、、”から韻を踏んで出来上がりました。
要は、不要なものは買うな、安いからといった理由でまとめ買いなどはしなさんな、という警告です。安くても買うよりは買わない方が安いのです。
買わないのはただですから。

しかしこれも逆があり、必要なものは買う、又自分の好きなもの、こだわりのあるものは買うということなんです。
よって“買わぬ馬鹿”は、必要なものまで買わないで結果困る、又は後で買うときに値段が上がってしまって結局損をする、この様な人のことです。(・・・私です。)

能ある鷹は爪隠し隠した爪をまた磨く

自己研鑽・学びの醍醐味”を表します。
引用-集英社 新修 ことわざ辞典、“能ある鷹は爪隠す”より自作。
“能ある鷹は爪隠す”- すぐれた才能のある者ほど、日ごろは、それを見せびらかさないことのたとえ。

自己研鑽とは、このようなことだと思います。人によって考え方が違いますので、どちらが正解とは言えませんが、先に何を勉強する、或いはこの資格を取るなどと宣言し自らを追い込むやり方と、全く周囲には言わず相当なレベルになるまで耐え忍び勉強する。正に“隠した爪をまた磨き”絶対的なものにする。そして自信をもって人前に出す、というやり方。私は後者が圧倒的に好きです。
しかしながら、私のように爪磨きにあまり時間が掛かっていると、間に合わなくなってしまいますので注意が必要です。

自己研鑽・学びは、それが世間で評価された時に達成感と大きな満足が得られます。
そして、自分自身の固体に蓄積されるもので、自分自身の努力が全てです。又、死んでしまえば全てがチャラ、これが醍醐味かも知れません。決して買えないもの、USBの様に簡単にカートリッジの入れ替えが効かないものであります。

最後に

上の自己研鑽の一つに、私のインドネシア語学習があります。滞在期間を含めておよそ30年のこの国との関わりのなかで、インドネシア語は私のライフワークとなりました。そしてどのような語学学習もそうだと思いますが、まだまだ納得が行くレベルに達しません。しかしながら、これを隠したままで人生を終わるのも勿体ないとの思いからこのブログを立ち上げました。
未だ、本題に記事に行きつきませんが、これからインドネシア語の勉強サイトを充実させて行きますので、宜しくお願い致します。

定年退職後の反省(重要)

“Yamaちゃんのインドネシア定年ブログ”とブログ名を付けましたので、少々この点に付いても触れておきたいと思います。少しでも皆様(定年前又は若い世代)のお役に立てばと思います。いつかは迎える定年退職、無論事前に分かっていることですが“イヤー、まだこの会社にいられるのかなー”と言う甘い考えとともに、あっと言う間にその時は来てしまいます。50代は忙しさにかまけ、60歳の還暦を迎え、定年を意識して海外インドネシアで広くネットワークを拡大しようと努め色々な方とお会いして来ました。然しながら、それらが直接次のステップに繋がることは有りませんでした。そして、折しもコロナ禍の真っただ中、然しながらコロナのせいには出来ません。63歳半ばにして、定年退職となりました。私の場合、インドネシアでの出向契約打ち切りと同時に日本の本社も定年退職となった訳です。
そして今年の年頭に帰国、その後色々な手続き等を経るなかで思うことは次の二点です。

1)60歳から65歳は大変重要な時期です。

正に直近の状況ですが、かねてから頭の中にはあったのですが、少々手遅れでした。この年齢非常に大切な期間です。何故かというと、これは定年制度の問題です。定年はかつてから、55歳=>60歳=>65歳(そして近い将来70歳となるでしょう。)そして60歳から65歳となったのは2012年、まだ10年ほどしかたっていないのです。そして企業は65歳までの雇用義務が生じましたが、定年年齢を完全に65歳迄とする企業は左程多くはないのです。一旦60歳で定年退職となり、以降は嘱託やら再雇用との名目で雇用は確保するも、その勤務条件はまちまち(往々にして雇用条件、すなわち給与はかなり低くなる)であります。それでも仕事が有ればまだ良いが、一旦完全に退職して新たに就職先を探すのはかなり難易度が高いのです。それもそのはずで、同じような境遇の人が沢山いる訳ですから。
よって、60歳前にこの間をどのように過ごすか、自らの事情や会社の状況、もちろん家庭の事情も含めて、ある程度方向性を付けておく必要があります。又、思うようにいかない場合も多いので、幾つかの選択肢があるとより安心だと思います。
私の経験から言えることは、例え条件が悪くなろうとも、65歳までは何とか継続して働けることがベストだと思います。

2)副収入源を準備しておく(副業・資産)

昨今FIRE(Financial Independence Retire Early)と言う言葉が目に付きます。
<経済的に独立して早期のリタイヤーを目指す>という意味だそうです。
今でこそ多くの関連書物が出回っていますが、もう少し早くキャッチしておけば良かったと思う次第です。海外にいたこともあり先送りしていたことを大いに反省。いやいや“定年”がお題目となった書物やYoutubeが如何に多いことか、ブログも含めて溢れるようにありますね。ちなみにこのブログも“Yamaちゃんのインドネシア定年ブログ”ですが。そして還暦を迎えるころから色々な書物に触れて来ましたが、やはり本当にそうなるまで真剣さが足りなかったのかも知れません。人それぞれに、その境遇、又経済状況は異なり一律に何が正解かは分かりませんし、既に多くの資産・充分な蓄えが有れば何も心配することは無いでしょう。然し普通のサラリーマンであれば、例の2000万円問題は、どうしても考えておかなければならないでしょう。イヤー心配要らないとか、2000万円では足りないとか、色々な意見が上がっていますが、これこそ人それぞれで、平均的な計算値を見て一喜一憂してはいけません。以下の状況によって、個々に大きく左右されますから。

  • 両親の状況(配偶者の両親を含む)
  • 子供の状況(主に教育、結婚、孫)
  • 住居の状況(持ち家か賃貸か?)
  • 仕事の状況(再雇用か独立か、働かないか?)
  • 相続の問題(相続税、資産分割の問題)

これらの状況を相対的に見て判断することが大切です。50歳くらいで安定した給与所得があると中々ここまで思考が至りませんが、さて定年ですとなる前に、色々な意味での副収入源、資産を形成しておくことが非常に大切です。

このように60歳から65歳は、現状色々な意味でセンシティブなお年頃と言えるでしょう。よって60歳前から十分に考えて道を選ぶべきだと思います。

年金について

年金に付いては、色々な制度が有り、また来年には大きな制度変更も御座います。詳しくは、最寄りの年金事務所にてご相談されるのが一番です。色々と参考になる書物もありますが、これらで述べられる平均値がありますが、各々の過去の経歴によって支給額はかなりバラついてきます。個人事業主と勤め人にて、国民年金、厚生年金の仕組みの違いもあり一概には言えませんので注意が必要です。
現在は厚生年金への加入が条件になりますが、まだ“特別支給の老齢厚生年金”があります。しかし、この制度は定年年齢の60歳から65歳への移行期の措置で、受け取り年齢がスライドして行き男性で今年60歳、女性で今年55歳以下の方が対象(正確には誕生日でご確認下さい。)でそれ以降は完全に65歳からの支給となります。
然しながら、これも個人差があるのでしょうが、ポケットマネー程度の額にしかならず、これに企業年金を合わせても生計を立てるのは無理でしょう。更に、働いて在職している場合は給与ベースによって年金は減額となってしまいます。
この制度も控除額上限が緩和される等、高齢者が働きやすい制度に向けた変更がされるということです。そして、60歳から65歳への定年移行措置が完了すると、今度は追って65歳から70歳への定年年齢移行措置がとられていくのでしょう。

よって、営利を目的とする企業の制度と高齢化に合わせた年金の制度の変更にどうしてもギャップが出来、その谷間で苦労するのが現在の60歳から65歳といえるのでしょう。

定年退職後の手続き

定年退職後は、会社勤めの人は、今まで会社がやってくれていた諸手続きを自らでこなす必要があります。よって十分に仕組みを理解した上で、勉強をしておくことが大切です。以下に主要項目を列記します。いくつもの支給条件がありますので、詳細は良く確認をしてから時期を逃さずに申請する必要があります。

  • 失業保険の申請
    離職理由(自己都合、会社都合)により、支給期間が異なります。これも要注意項目です。
  • 年金の確認と申請
    未だ先と考えず、対象年齢となったら申請はしておくことをお勧めします。
  • 企業年金の確認と申請
    公的年金の支給が前提となりますが、申請先が企業年金連合会となります。
  • 国民保険又は企業保険の任意継続選択と加入
    かなり支払い額が異なりますので、要確認の項目です。
  • 確定拠出年金の取り扱い(現在は60歳時)
    積み立ては現状60歳迄、2022年から65歳となる。
    60歳以降の運用も要注意です。ほったらかしの場合はこの機に確認された
    方が良いでしょう。

FIREを認識して早めの老後プランを検討

私にとっては、年金はホットな話題ですので、記せばついつい熱くなってしまいますが、私の場合も含め、思ったより多くないというケースが多いのです。よって早めに自己受取額を掴むことによって、将来構想がイメージできます。よって早いうちにFIREの体制がつくれると、無論仕事を続けるとしても、“楽な気持ち・落ち着いた気持ち”で仕事が出来る、或いは老後を暮らせることになります。ここに後進へのアドバイスと致しますが、64歳となる私もまだまだ先があります。物事を始めるのに遅いということは無い。“今日が人生で一番若い日”(両学長の名言引用)で、何でも実践していきたいと思っています。頑張って行きましょう。

海外赴任で定年退職やること一覧

“定年退職後の反省”に続き非常にニッチなケースかも知れませんが、少なからずこのようなケースで色々と迷うことも多いかと思います。私の経験をもとに、やることリストを記しましたので参考として下さい。但し、個々人の年齢や状況によって条件は大きく異なると思いますので、充分にご注意の上、自ら良く確認されることをお勧めします。

前提条件

2021年10月現在64歳の中半となりますが、2020年の年末に63歳中半で、出向先インドネシアの現地法人の契約打ち切り、そして自動的に日本での再雇用契約も終わりとなったケースです。ここに至るまでも、現地側と日本側の契約を数次に渡り延長し、微調整の上で両契約期間を同一タイミングにして貰っております。
先ずは、帰国と同時に定年退職となった訳で、様々な公的な手続きが必要となります。
ここで、まじまじと“日本国民”であったことを再認識致しました。ちなみにコロナ禍での帰国となりましたので、諸手続きは二週間のホテル自主隔離後となりました。
私の場合、直ぐに次の仕事に就いていないので、時間的な余裕がありましたが、例えば直ぐに次の仕事が決まり海外にとんぼ返りとなる場合は、また更に大変なのだろうと思います。というのも各手続きのリードタイムは長いものが多く、申請から承認までの時間的猶予を考慮しないといけませんので。この点も、次のステップの行動計画と合わせて充分に考慮しておく必要があります。
よってこの前提での諸手続きとなります。順不同のリストとなりますが、海外赴任からの定年退職との前提でのチェックリストとしてお使い下さい。

主な実施手続き項目

  • 一般的な会社退職手続き
    私の場合、出社不要。郵送にて全て完了しました。失業保険受給の為の、離職票の受け取りは大切です。
  • 住民票の日本居住への戻し
    当初は、現地滞在証明にて各手続きを実施しようと考えましたがほぼ不可能。
    年金は煩雑な手続きを経て可能かと思いますが、マイナンバーカード取得、及び国民険への加入は住民票が無いと出来ません。
  • マイナンバーカードの申請、作成手続き
    マイナンバーは住民票を入れると自動的に付与されますが、カード本体は申請の上、本人が受領する必要があります。
  • 特別支給の老齢厚生年金の申請
    60歳から64歳迄で、年齢により支給開始時期が異なります。又、定年年齢の60歳から65歳への移行期間の措置なので、対象年齢に注意が必要です。
  • 企業年金の申請(企業年金がある場合/支給は上記公的年金とリンク)
    企業によって異なります。年金事務所で確認は出来ますが、申請は企業年金機構となります。又、公的年金の受給が受け取りの条件となるようです。
  • 企業健康保険から国民保険への切り替え
    個々にかなり条件が異なります。企業の健康保険は最長二年間の延長が可能です。
    退職前の給与が高いと、国民保険料もかなり高額となりますので、要確認項目です。
  • 確定拠出年金の解約、又は処理
    現在は、積み立ては60歳迄、来年制度変更があり65歳までの積み立てが可能となります。解約方法も色々ありますので、一度どうするか検討されると良いでしょう。
    解約時は退職金扱いとなり、税優遇措置があります。又、運用のみも可能です。
  • 赴任地の税務処理(納税番号の廃止等)
    現地法人の提携法律事務所に任せていますが、前年分の措置と現地納税者番号の抹消で幾度かのメール交信、資産報告等が発生しました。
  • 失業保険の申請手続き(ハローワーク)
    これは重要ですが、個々の条件によって支給額及び支給期間が決まって来ます。
    先ずは、書類を整えて申請をする必要があります。受給期間中は、これが優先となり公的年金は停止となります。
  • 印鑑証明登録
    上記手続き中のどれかの申請時に必要となりました。住民票が必要となりますので、住民票を戻した後に申請が必要となります。
  • コロナワクチン接種(2020年の10万円給付金はもらえず)
    住民票ベースで接種券が郵送されます。よって住民票が無い(海外在住者)と送付されません。十万円の給付金は海外赴任中にて貰えず。又、今後コロナワクチンの三回目がありますので、案内を受けるのに住民票は必要となります。但し、海外帰国者の特別枠等は準備されると思います。
  • スマホの契約変更その他諸々

それ以外に日本での生活へのマッチング

  • PASMO
  • メルカリ
  • 電子マネー
  • 銀行口座のモバイル対応
  • 証券口座の開設(オプション)

昨今は、日本も電子マネーが急速に普及しており、海外に比較して遅れながらも一般化してきております。様々なプロバイダーがあり、場所によって使える使えないなど結構煩雑です。又、種々情報のインプット等がありますが、その便利さにも改めて感心しております。然しながら、ユーザーIDやらパスワードやらも非常に煩雑化してきており、これらの申請や初期設定でかなり苦労を致しました。恐らく今の若い方々は、さして抵抗が無いのでしょうが、この年齢になると結構厳しいものがあります。なんどもやり直しながらなんとかやっている次第です。

インドネシアへの思い

実は、インドネシアで継続して仕事を探し働きたいとの思いがあり、色々なネットワークを構築して来ましたが、コロナの影響もあり残念ながらそのままの継続滞在を諦めて後ろ髪を引かれながらの帰国となりました。どの道日本の会社も定年退職する訳ですから本帰国との扱いになる訳ですが、帰国は一時帰国のような気分でした。未練がましく日本の住民票は入れづに、そのまま出国するかなと思っていたのですが、どうやらそれでは諸手続きも儘ならないことが分かり、住民票を即刻入れるとの判断に至りました。無論、インドネシアの地で仕事が無ければ長期滞在は出来ない訳で、これはコロナだけの問題では無かったのです。