インドネシア語検定試験へのモチベーション

インドネシア語を学習する皆様へ、
本ブログにて、インドネシア語技能検定試験B級への合格体験談、1次・2次及び関連する記事を投稿しておりますので、ご参照下さい。B級合格は、すでに10年も前のこと、その後A級合格を目指すも集中力が足りず頓挫しております。
とは言えほぼ30年に渡り、インドネシアに関わりその内15年をその地で暮らしております。それじゃ、インドネシア語はペラペラでしょう?と言われますがそんなに簡単なものではありません。検定試験への合格のみが全てではありませんが、そこに試験があり、それに合格する方がいるということが、一つのモチベーションとなっております。

インドネシア語技能検定試験受験者と合格者(抜粋)

合格者(名)   総受験者(名) 合格率(約)
特A級   16  91 18%
A級  116   1704  7%
B級  505 5268 10%
C級 7186 13378 54%
第1回~59回迄総計データ(検定Websiteより抜粋引用)

インドネシア語の特殊性

インドネシア語は、ある意味特殊言語と言えると思います。これは、英語に比較してですが。ところが良く良く考えてみると、日本語が通じるのは日本のみ、1億2千万人とのコミュニケーションです。インドネシア語は、2億7千万人及びそのルーツであるマレーを考えると、日本語の2.5倍のコミュニケーションネットワークを持つことになります。又、日常インドネシア語に触れたことのない日本人が聞くと、全く予備知識が無い訳で、ほんの片言の会話でも、“凄い”ということになります。英語の場合は自分の能力は棚に上げても、上手い人・下手な人は大体分かりますね。ところがインドネシア語は日本人にとって客観的評価がし難い言語と言えます。
そして、大変多くのインドネシア人の方々が非常に一生懸命に日本語の勉強に励んでくれております。これは感激に値します。日本人同等の日本語を使いこなす方が多くおられます。この裏返しの対抗心も、私のモチベーションなってとおります。

A級受験に向けてやってきたこ

B級合格に当たっては、現地にてその直前3か月間、集中特別強制講座を個人的に行いました。平日は毎日夜2時間、土日は昼を挟んでAM-PM各2セッションをこなし、3名の先生にプライベートレッスンを組んでもらいました。言い訳、お断り無しで自宅に来てもらい、言い訳なく2時間の講義を受け、ひたすら繰り返し問題を解きました。答えを暗記するレベルです。

ところが、その後のA級受験に当たっては同じく約5年間週2-3回のプライベートレッスンを続けましたが、試験の結果自体は浮き沈みがあり、あまり向上しませんでした。文法や過去問には飽きてしまい、ただ新しい新聞記事を読むのみ。そして自分なりの解釈をインドネシア人の先生に語っておりました。インドネシア語の意味は分かるが適切な日本語訳が出てこない、これがずーと悩みとなっておりました。語学は母国語のレベルに左右されると思い出したのはこのあたりからです。

モチベーション

  • そこに山があるから登る
    更に上が有ればそれを制してみたい
  • 検定試験で日本人Best100名に入りたい、或いはBest 20と公言したい
    10年前当時は、もう少し合格者が少なかったので、確か特AとA級の合格者が100名に達していませんでした。然るにB級を取ればBest100と公言出来ました。無論B級505名内の順位は知る余地もありません。多分点数から見れば500番当たりかと思います。ただこれは分からないので、B級のTopにいることとして、特A・A級の合格者計132人に続き133番目ということも可能です。これは一つのモチベーションと言えばそうですが、それよりもどうやればA級に受かるのだろう?どんな人がどんな勉強をすれば受かるのだろう?という探求心が上のSTEPを目指す動機となったことは確かです。
  • 上記の如く、超マイナーな日本語を一生懸命に勉強してくれているインドネシア人の方々、(特に若い世代はアニメの影響も大きい)ありがたいことですが、これには負けられないとの思いが非常に強かったと思います。
  • 彼らの本音は、会話や会議のなかでポロッと出ます。それは、間違いなく彼らの母国語インドネシア語で!これが分かった時の面白さ、醍醐味は一つの楽しみでもあります。

インドネシア人は全員インドネシア語の先生と思い、学ぶ気持ちを忘れないこと。頑張っていきましょう。

インドネシア語マスターの難しさが分かりました

いきなりネガティブな見出しとなりすが、これからインドネシア語を学ぼうという皆さんへ、私の経験からのコメントです。そしてこれから、インドネシア語を一緒に学んでいくためにこのサイトを立ち上げます。

私は、約40年の会社勤めを終えて昨年末に定年退職となりました。その内概ね30年を海外と関わる業務、そしてその内約15年を海外で過ごしました。インドネシア約14年(92年から断続的に)、タイランドに1年強となります。
仕事は元から技術関係コテコテの技術職、よって全く言葉のスペシャリストでは御座いません。そして、インドネシア語もまだまだ納得のいくレベルにはありません。
これからこのブログで今まで学んできた内容を総括して、さらに上のレベルを目指したい、又“終活”の一環として後進の方々に残しておきたいと思いました。

ざっくりとこの様な経歴ですが、思い起こせば90年代の初期から現在に至るまで、インドネシアのこと、又インドネシア語のことが頭から離れることが無かったように思います。
“そう15年近くも住んだらインドネシア語も上手くなるよねー”
現地の人からは、
“やっぱりー、そんなに長くいたから話せるのかー”
などなど、言われますがそんなものでもありません。

インドネシア語は簡単なのか?

  • インドネシア語は、世界中で一番簡単な言語と言われている???
  • 語彙(単語数)が少ないと言われているが???
  • アルファベットを使っているので、簡単に読める??

どれも正しくも、誤りでもあるとおもいますね。但し、一つの体系立った言語に簡単なものなどある訳がない。インドネシア語も同じく、マスターすることなんて一生涯出来ないのでしょう。継続的な学びが必要だと考えます。

言葉の難しさ(何語も同じ)

  • 10年以上住めばペラペラになる?ウソです
  • 言葉は生き物、時代と共に変化します
  • 多民族国家、国土も広く数多くの“方言”が存在する
  • 知らない人、初めての人に通じない
  • 発音は、英語並みに難しい
  • その日の体調で、日々レベルが変化(日本語も同じ?)
  • 日本人間でレベル判定が出来ない
    マイナー特殊言語故、全く話せない人が聞くと、片言のインドネシア語でも凄いと言われることがあります。これは、知らないだけで“私の言葉が上手い訳ではない
  • いわゆる夜学(カラオケ等)で学ぶ言葉はインドネシア語ではない
    昼間の仕事では使えません。

ではどうすれば???

簡単に言ってしまえばキチンと勉強しましょうということなんですが、、、

  • 勉強方法は、他の言語と変わりません(英語と同じでしょう)
    テキスト、参考書が少ない。30年前は殆どありませんでしたが、昨今は充実してきていますので、色々な選択肢があります。英語学習書の様には行きませんが。
  • インターネットの充実
    スマホ、携帯すら無かった30年前では考えられませんが、今では現地のニュース、最新のトピックスが簡単に読めます。教材には困りませんね。
  • 勉強はその密度、集中力で決まります
    日本でも出来ると思います。10年インドネシアに住んだからこの程度、15年いたからこの程度とはなりませんのでご安心下さい。

最後に、“強力な動機、勉強意欲”が必要です。

これから頑張って学んで行きましょう。インドネシア人は皆インドネシア語の先生です。学びの気持ちを忘れずに。

私事

インドネシア語技能検定試験B級;5年掛けて2011年に取得
A級は、その後5-6回受けるも不合格
英検2級;40年くらい前に取得
大した事はありませんが、少しでも皆さんのお役にたてれば幸いです。

インドネシア語学習(個人レッスン)1

逞しくも愛すべき先生達との思いで(60歳の手習い)

経緯

インドネシアに赴任すると大抵の場合、まず一番にインドネシア語を勉強しないとということになるでしょう。前任からの紹介、又はそれぞれの会社に専属の先生がいるケース、又は自分で探す等様々だと思います。そしてめぐり合ったこの最初の先生が、インドネシア語を学ぶ上で非常に大きな影響をもたらすものだと思います。そこで、私の個人的な経験を知って頂き、その一助として頂ければ幸いです。60歳を超えて、若者から何かを学ぶ、これは何とも新鮮で気持ちが高まる大切な時間です。

思えば長い道のりです

思えば90年代の初めから昨年末までおおよそ30年間に渡り、様々な多くの先生方からインドネシア語を学び、時にそのネットワークが思わぬことに仕事にも関連する出会いを生んだりと、その思い出は語りつくせないほどに御座います。先ずはプライベートレッスン、又先生を決めるに当たって大切なポイント(インドネシア語勉強のポイントも含む)を記してから思い出話しに行きたいと思います。私は、92年から数次に渡りインドネシアに駐在、合計でほぼ14年、昨年末に定年となり帰国しました。インドネシア語技能検定試験は、10年前にB級合格後、昨年までA級に挑むも合格出来ず、現在に至ります。関連ブログにもその経験談を載せていますのでご参照下さい。

(重要)個人レッスン受講・勉強のポイント

  • 勉強日程、スケジュールを決めたら、絶対に変更・キャンセルはしない
  • 事前に達成目標と学習内容・ペースを決め計画を立てる
  • 対面学習はペースメーカーとし毎日最低30分程度の学習時間を取る
  • 可能ならば二人以上の先生を付ける
  • 先生はインドネシア語が綺麗であること
  • 仕事を含む一日の出来事、又は話したいこと、言えなかったことをインドネシア語の文章又は単語に落とし込み、これを覚える=>そして翌日に使ってみる
  • 不明の単語を記載(独自の単語帳)に記し、毎週レビューする
  • 覚えた文章は、なるべく知らない人(初めての人)に使ってみる(駐在の場合)

私の場合、これらが出来ずのほほんと成り行きまかせで勉強、まただんだんと気持ちが入らなくなり最後の方は実効性が無くなり慢性化・惰性化してしまったんだと思っています。皆さんには、短期決戦でレベル向上を図って頂きたいと思う次第です。

日本ファンの多いインドネシア(日本語学習熱)

非常に有難いことで、インドネシアは大変日本びいきな国です。大変にうれしいことです。これは昨今いや随分むかしからだと思いますが、歴史的背景、経済的な繋がりそして昨今のアニメブームも大きく影響しているでしょう。“世界の日本語学習者ランキング”を見ても、一位中国の約100万人に次ぎ第二位約70万人となっています。無論、人口比率を考えると韓国もかなり多いのですが。

中国約100万人
インドネシア約71万人
韓国約53万人
オーストラリア約41万人
タイ約18万人
2018世界の日本語学習者“2018年度国際交流基金調査データ”

このデータからもインドネシアの日本語学習に対する裾野の広さがわかるように、素晴らしい日本語の使い手と数多く出会いました。然しながら、インドネシア在留日本人が二万人を切ることから、インドネシアの先生は、インドネシア人に日本語を教えるケースが多く、日本人にインドネシア語を教えるケースは圧倒的に少ないのだと思います。そもそも我々日本人は、インドネシア語を習いたい訳で先生が日本語が上手い必要は無いのではないか?と考えております。基本的に言語能力、伝達コミュニケーション能力と教える能力は別物と考えています。いかに秩序だったインドネシア語文法を理解しているかが先生の条件となるのでしょう。この様に各々の先生は異なる得意分野、そして異なる文化圏、場合によっては宗教も異なるケースが多く、これらを理解し、リスペクトして接することが大切です。正に“インドネシア人は皆先生”と考え、学べる事は全て吸収していくことです。

駐在初期のコミュニケーション

先ず、駐在初期のコミュニケーションは、
1) ドライバー(多くの場合、固定、専属のケースが多い)
2) ハウスキーパー(昨今はサービスアパート等でコミュニケーションは少ない)
3) 勤め先の現地の方(昨今は英語、日本語のコミュニケーションも多い)
となるケースが多いでしょう。当初から、彼らは我々日本人、それも新たにインドネシアに赴任した日本人に対し非常に親切です。そして、無論会社内での上司部下、或いはその反対もありますが、我々が片言で何を言おうとしているのか、その拙いインドネシア語を理解しようと耳を傾け、大変な努力をしてくれます。有難い限りですが、その努力が我々の間違ったインドネシア語を語彙変換して、仮に間違っていても理解してしまうのです。そしてこれが一度通じてしまうと、修正が効かずそのままとなります。後に、世間に出て初めて接する人とコミュニケーションした時に、全く通じないという現象が起き、驚くと共に恥ずかしい思いをすることも多々あります。故に、もし駐在しておれば表に出て、多くの人とコミュニケーションを取り、言葉をキャリブレーションしていくことが大切だろうと思います。

今も現役、大切なインドネシア語先生ネットワーク

先に述べた如く、先生も各々バックグラウンドが異なり話し方も違います。これは良い悪いではなく、個性としてリスペクトすることが大切です。私の場合は複数の先生から習うという手法をとりました。ほとんど趣味の世界ですが、その方がバランス的に良いのだろうと考えました。それぞれの先生に必ず得意分野がある訳ですから、その上少なからず日本語を学んだ経験、日本への留学経験、日本企業での勤務、通訳等、日本語に関する様々な経験をお持ちです。コストは掛かりました、又成果については少々?です。然し、ここから結構広範囲のネットワークが生まれそれが未だに繋がっているのです。

愛しくも逞しい先生達

私がインドネシア語を教わった先生方は、ほぼ10人位になります。コロナ禍となる前は、2016年から2019年間も、三人の先生がおり週三コマで学習をしていました。それぞれの個人名は上げられませんが、個々にご紹介して行きたいと思います。長くなりますので、後ほど別ブログにて、、、

インドネシア語学習(個人レッスン)2

逞しくも愛おしいインドネシア語の先生達

前述プライベートレッスン1で、その内容につて記載しましたが、第二弾として私がお世話になったインドネシア語の先生達、そのネットワークおおよそ10名のうち極直近のコロナ禍前迄、勉強にお付き合い頂いた三名の先生を思い出とともにここに紹介致します。無論、今でもたまにではありますが、インドネシアで人気のアプリ(WhatsApp)にて日本にいながらも交信をさせて頂いております。直近ではインドネシア、日本共にコロナ感染者の数が激減しておりますが、数か月前は正に大変な状況下にありましたので、お互いの健康確認の為交信をしております。因みにたまたまではありますが、先生は皆さん女性です。今回、匿名でのご紹介とさせて頂きます。

  • M先生(既婚でお子さんが二人)
  • P先生(一流商社勤務の独身貴族)
  • D先生(インドネシア肝っ玉母さん)
M先生;文法、セオリー、正しく明快なインドネシア語の正統派

この先生は、別の先生からご紹介を頂き2006年からプライベート個人レッスンを始めました。有る機関で先生として日本人にインドネシア語を教える経験の長いその道のプロと言えるでしょう。気さくで明るく、決して諦めないその指導には随分と助けられました。当時、私は二回目の赴任でC級は既に日本で取得しておりましたので、B級受験を目標とした勉強を始めました。多分この当時から授業は全てインドネシア語で実施としました。本当は、この先生も日本語は相当上手い使い手だと思いますが、残念なことに私は日本語でコミュニケーションを取る機会が有りませんでした。
文法、教材、テキストは完備しており、効率的で且つ抜けのない文法を基礎から教わった記憶があります。“イヤー、インドネシア語の文法も大変なものだ。”と思いながらも毎週末に自宅のアパートまで来て頂き、ほぼ欠かさず毎週末勉強を続けました。
半年に一度、年二回のB級受験も、落ちる度にこちらが“もうやめようかな?”と言うと“もう一息だから、頑張って”と励まして頂きながらB級合格までお付き合い頂きました。その後、帰国後に長らく間が空きましたがこの間に彼女は結婚、その結婚式にご招待頂き、日本から駆け付けたことも良い思い出となっております。

そしてまたまたの出向、早速“ご無沙汰していますが、また来ました。A級受けますので宜しくお願いします。”二つ返事で“了解。”となりました。ところが彼女は結婚後、小さな子供も授かっていましたので、毎週こちらがジャカルタからブカシまで約15キロの彼女の自宅付近のショッピングモールまで出向いてカフェで勉強をしました。しかし、この間も更に平日或いは日曜日に並行して他の先生のレッスンを受けておりました。

P先生;気さくで日本人的、飾らず奢らず安心して勉強

この先生は、当時UI(インドネシア大学)の日本語学科の学生でした。詳細は忘れましたが、基本的には過去問の繰り返しと自作単語帳のレヴューが中心だったと思います。約二時間のセッションの冒頭に文章を読み、分からない単語を調べ確認、ところが同じセッションの後半で同じ単語が出て来ると、私は“これは初めて習う単語です。”すると先生は、“いや、さっき出て来ましたよ。勉強したばかり、、、”となり、結局は最初の方で習っていたことが判明。恥ずかしくもこんな繰り返しをやっていました。高齢化による余りの覚えの悪さにも、怒らず呆れずにお付き合い頂きました。
そして、ついに第二回目の出向も5年目に入り、そろそろ終わりかなという雰囲気の中でB級受験もほぼ10回目を迎え、これが最後かもしれないとの思いから、ほぼ試験三か月前から、平日毎日の集中講座に突入しました。毎日仕事から戻り、夕食もそこそこに夜八時から二時間のセッションが始まります。アパートに来てもらい、ほとんど頭が働かない中で、ひたすら過去問と単語帳の繰り返し。その内に、試験のパターンは愚か答えまで暗記してしまい、勉強にならないのではと思いました。
過去問の繰り返しによって、その問題と解答のパターンが完全に頭に入り、ほぼ文法的な裏付け、理解も無く答えが頭にこびり付いて行きました。
当時は余り気にしなかったのですが、彼女は当時、丁度大学の夏休みで、その間毎日の恰好の高収入アルバイトが出来たようです。これは、後日談で聞きました。

B級合格

この結果、第二回目出向5年目10回目のB級試験に合格することが出来ました。特段出来が良かったという事後の印象は無く、まあまあかな?と言う位でしたが何とか受かりました。この一次、二次の受験談は別ブログに詳細を記述していますので、是非ご参照下さい。しかし、これは非常に嬉しく、長らくお付き合い頂いた上記の先生方には大感謝。そして、感謝の気持ちとしてその回の試験問題の読解に出てきた日本の和牛に関するトピックに絡めて、和牛ステーキのフルコースをご馳走しました。味は余り覚えていませんが、値段は超一流だったことだけは記憶にのこっています。
そしてM先生から、更なる精進の為にと、“Kamus Besar Bahasa Indonesia”インドネシア版広辞苑を頂きました。これは、それ以降日本に持ち帰り大切な蔵書として保管しております。(使ったことはありませんが。)
そして、今振り返るとこの先生方には更にA級受験に向けた指導をお願いすることになるのです。

D先生;インドネシア肝っ玉母ちゃん(私のメンター)

この先生は、三回目の出向(厳密には4回目)の出向時に知り合いの紹介で、上記M先生、P先生に加えて参戦頂くことになります。
現在50歳+α位、旦那さんは日本人ですが、15年以上前にインドネシアでの交通事故で死別、日本には10年以上住んだ経験があるとのことです。その後、一人息子を育てながら現在まで、フリーランスの先生として日本語、インドネシア語を教えて来た強者です。息子さんはその後独立し、現在は日本で仕事をしています。日本語のコミュニケーション能力は10年以上の日本での生活をベースに、強烈な実践能力があります。そしてプライドも高く、しかし時折弱い一面も見せる中々活発なおばちゃんです。
私は、インドネシアのメンターとしてその人生から生きる力強さを学びました。そして本人にも話したのですが、題記の“インドネシア肝っ玉母ちゃん”と名付けさせてもらいました。勉強は、A級受験ともなると、先生方も困るようです。こちらも文法や過去問にも飽きてしまい、やりたくない。そんな中で週一の授業はメニュー無し。毎回私が現地新聞 Kompas から興味のあるトピックス、記事を取り上げ黙々と読む、音読。そして分からない単語やフレーズを先生に聞くというパターンでした。ところが、話好き、教え好きの先生は出番が無く、私の質問に対し包括的なインドネシアの文化、事象の背景や説明、等々を詳細語り始めます。ところがこちらは、“いやいや、そんなことは分かっているので純粋にその単語の意味、基語の意味を知りたい”と意見が合わず,“ちょっと黙っててくれる”となり毎回喧嘩になります。熱くなると勉強どころでは無くなりますので、勉強は中止、では旨いもん食べに行こうとなる訳です。喧嘩の後は旨いもん食べて仲直りということです。気っぷが良く、又感情が表に出る、そして“私一人で息子を日本人として育て上げた。”が彼女の決め台詞。そこで彼女を“インドネシア肝っ玉母ちゃん”と勝手に任命致しました。

これってインドネシア語の勉強?

この様にA級受験勉強は、進んで参りましたが、やはりだらだらと長期戦になるのはいけません。よって、未だに合格出来ないのです。短期集中で純粋な受験対策に取り組むことをお勧め致します。長くやれば良いというもにでは無いようです。皆さんの成功を祈願致します。