インドネシア独立記念日に想う(8月17日)

インドネシア独立記念日77周年

インドネシア独立記念日

インドネシアに於いて、8月17日と言えば独立記念日として祝日となり、各地或いは各ユニット単位にて盛大なイベントが開催されます。オランダ植民地からの独立により建国されなインドネシア共和国でありますが、この独立戦争にはインドネシアに侵攻した元日本兵約3000人が加勢し、その独立の為に貢献したことが知られています。故にかつて日本はインドネシアに侵攻し、又その独立に参画するという両側面を持つことになります。
南ジャカルタのカリバタ英雄墓地は有名で、ここにも独立戦争に加わった日本人が永眠しております。
興味深い歴史の話は書物から詳細を学ぶことが出来ますので、ここでは語りませんが、現在までも多くの日本人がインドネシアを心から愛するのは、その国民性と共に日本人が意識せずとも面々と引き継いでいる心の中にあるこの歴史的背景が大きく影響しているように思えてならないのです。

日本をも含めたアジアの一国として、そして農耕民族であることが、敵対する関係から同志へ、又日本文化や日本の産業を心から理解してもらえる盟友として共に歩む関係は、今後共続いていって欲しいと心から願って止みません。

独立記念日に想う

さて、今年2022年はインドネシア独立から77年目の記念日となりました。日本に居ますと建国何年目という意識は非常に薄いように感じますが、当地インドネシアではこの年数がかなり強く意識されます。特に今年は“ラッキー7”が二つ並ぶ77年目の独立記念日を迎えました。インドネシア滞在が断続的ながらも長くなり、自らも歳を重ねるに連れこの年数にも重みを感じるようになりました。

別記事にて記載致しましたが、私が過去初めて当地で駐在を経験した1992年から1995年の帰国直前の独立記念日は、50年目の記念日となり、Indonesia Emas (黄金のインドネシア)と呼ばれ、街中に極彩色のイルミネーションが灯り、当時はまだ今よりも薄暗い街が綺麗に彩られたことを今でも鮮明に思い起こすことが出来ます。独立50年から77年と、92年をも含めると30年間この国の移り変わりを見ることとなった訳です。30年というその長い月日を思い、自らの人生遍歴を思うに付け、インドネシアとこの国の人々との触れ合いに感謝の念が湧いてくるのであります。

インドネシアと共に

日本が閉塞感に押される中、インドネシアは“若い”国です。底知れないパワーが有ります。そして人々も逞しく、生きることに必死です。既に初期高齢者の仲間入りを果たした身に取って、このパワーは自らの生きるパワーに繋がります。是非ともこのパワーに寄り添い、いつ迄もこの国と共存して行きたいとの思いが強くなって来る次第です。

“ありがとうインドネシア”

Terlajur Sayang (Memes)

最愛なる思い出の曲;過ぎ去りし思い出と愛しき友

インドネシアに限らずとも、人それぞれに心に残る思い出の曲があると思います。この曲“Terlanjur Sayang”は、Memesというインドネシアの女性歌手が恐らく30年近く前に歌った、当時のヒットソングだと思います。Memesの息子さんが同じくミュージシャンとして活躍していると聞いたのも、既に15年前、大変古い話しになります。

この曲との出会い

それは、25年以上前に遡ります。当時、とあるカラオケ店でインドネシア人の女性がこの歌を歌いました。聞いた時には、余りインパクトが無く耳障りも良い為、すーっと素通りしたのかと思います。恐らく、一回目の駐在後半で帰国も近かったのかと思います。そのまま駐在を終え、日本に帰国。そして日本の生活に馴染み切らず悶々としている中、ふとこの曲のメロディーが耳を過ぎりました。それから約5年間、当時は曲名を知る余地もなく時間が過ぎ去って行きました。そして約5年を日本で過ごした後に、はたまた海外の仕事に付き、度々インドネシアに出張する機会を持ちました。そしていくつものカラオケ店をめぐり、この曲のメロディーを口ずさみその曲名を尋ねて廻りました。私の覚えていたメロディーが心許なかったのかも知れませんが、その捜索には非常に時間が掛かりました。そして何度目の出張か、何軒目の店か又どこの店かも忘れましたが、“アー、この曲じゃない?”と言われその曲をリクエストしてもらうと、Terlajur Sayangが出て参りました。ほぼ6年越しの探し物に出会えたのでした。うれしくて、その店の皆さんにチップを振る舞い、CDを買って来て貰うように手配。そしてようやくこの曲を心置きなく聞くことが出来るようになりました。

それ以降、カラオケでは毎回この曲を歌うのですが、結構難しいのです。それとかなり古い曲なので、システムに入っていなかったり、あってもDVDがすり減っていて空回りしたりと段々無くなりつつあります。しかし今の時代は、これがYoutubeに残っているので安心です。又流石に断捨離・終活を進める中でも、このCDは捨てられません。中々上手く歌えませんが今でも忘れられない思い出の一曲として、私の心に響いています。

Terlajur Sayang その意味は?

ここからが本題なのですが、さてこのインドネシア語はどんな意味だろう?ということなんです。辞書を引くと無論その意味は出て参ります。
Terlanjur=>1.口が滑る、2.・・・してしまう(取り戻すことが出来ない)
       又は、・・・してしまった。もう、手遅れ。
Sayang=>可愛がる、大事にする、大切に思う、愛しい人、残念、勿体ない
       その他もろもろ。
この訳は、多くの先生方にも聞きまわりましたが、未だしっくりと来るものが無く答えが見つからないのです。そして文頭に記した“過ぎ去りし思い出と愛しき友”が私なりの解釈です。
この様にインドネシア語も日本語もアジアの言語として、その言葉の持つ意味は広く、又深く、例えばインドネシア語でその意味は概ね理解出来る、しかしこれを日本語のそれも漢字熟語で表すとなると非常に困難なケースが多くなります。特に新聞の見出し等、日本語の新聞とてその短縮形の見出しは事情を知らないと理解が難しいケースが多いように、これがインドネシア語となると、その推測はより一層難しくなります。この奥深さがインドネシア語(アジア言語)の面白さと言えるのかも知れません。
そこに人それぞれの生き様、背景、経験、その他もろもろの要素が絡んで来ます。正にその国に入ればその国の言葉を使い、その国の言葉を使ってその文化、歴史を学ぶということなのでしょう。